※安芸・艦友会では貨物船、貨客船、客船を纏めて商船と表記しています事を御了承して下さい。
かつて日本の海運業を支えていた商船達は次々と軍に徴傭され軍の管制下に置かれていきました。
黒い船体に白いシアーラインとブリッジ、各海運会社独自のファンネル・マークが付いた煙突。これが当時の商船のトレード・マークで、
この商船カラーに誇りを持っていた船員も多く居ました。所が、軍の徴傭船にされると大半の船は強制的にファンネル・マークは消され
船体色は黒色から灰色または迷彩色に塗り替えられ、中には船上に対空兵装まで装備した船も有りました。

徴傭される前は元気良く外国との旅客航路、貿易航路に就航していた各商船も戦時下に於いて、
表面上は海上輸送力の根本として重宝されながらも速力の遅い商船は消耗品、足手纏い、存在軽視などの酷い扱いを受け
満足な護衛や自船を守り得る武装の装備もされる事無く、殆どの船が敵機や潜水艦の餌食となって撃沈されました。
幾ら軍に徴傭されたとは言え実際に船を動かすのは、船長を始め機関員や甲板員は民間人の船員達
商船は軍艦に比べ速力も遅く、外板も薄い為に瞬時に轟沈するケースが多く、沢山の船員が船と共に沈んでいきました。
各船の解説で述べる事が有ろうかと思いますが、中には船団を組んで航行中に雷撃を受けると足の遅い商船を置き去りにして
護衛艦が逃げた!とか昭和19(1944)年2月17〜18日の米機動部隊によるトラック島大空襲で多くの商船が撃沈されたのも
連合艦隊が自艦隊を守る為に足の遅い商船を切り離したと言う説が有力視されています。
トラック島大空襲については海戦ページに特別に記載していますので、そちらを参照して下さい。

艦艇についての戦歴や詳細は色々な書籍に記載してあり艦隊編成表記内でも艦艇名は割りと書き記して有りますが、
商船専門書を除いて商船に至っては「輸送船○隻」と曖昧な表記が殆どで船名も出ていないのが現状です。

安芸・艦友会では船と共に亡くなられた船員達への追悼と、軍に徴傭され過酷な任務を背負わされ無念にも砕け散っていった
民間商船の事を少しでも多くの方々に「知って貰いたい」、「理解して貰いたい」の意を込めて大々的に取り上げ、
可能な限り掲載していきます。

※ここに掲載する全商船は大戦末期の戦時標準船を除き商船の「ありしの船姿」として、あえて徴傭前の「商船カラー」にしています。

[最後に]
商船ページの作成、掲載商船の製作に関する資料または情報を戦時商船に精通されておられる多くの著名な方々より
提供して頂いた御蔭で、殆ど知られていない戦時下の民間商船の資料を掲載する事が可能となりました。
本来なら協力して頂いた方々のお名前をHP内に掲載したいのですが各方面での業務や活動で多忙にされておられるので、
御迷惑をお掛けしない為にも、お名前は掲載しない事に致しました。
商船ページの作成に大きな力を貸して下さった方々には心から厚く感謝すると共に御礼を申し上げます。


                                                         安芸・艦友会 会長 山本   

商船一覧表
この項目には商船の同型船が船型別に纏めてあり個船名をクリックすれば、その詳細が見れます。
戦時標準船一覧表
ここでは国の統制下により大量建造された戦時標準型船(戦標船)を取り上げています。
ファンネル・マーク
海運会社別のファンネル・マーク(煙突に表記されたマーク)を纏めてみました。
輸送船団編成表
戦時下の輸送船団の詳細を纏めて、編成表は戦没艦船損傷艦船に色分けをしています。

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