生起日:昭和19(1944)年10月25日
要 因
連合軍のフィリピン攻略を察知した連合艦隊司令部は捷一号作戦を発動し栗田艦隊はレイテ湾へ突入する為にブルネイを出撃し、
ミンドロ島南端を通りタブラス海峡を航行中に敵哨戒機の触接を受け、シブヤン海で遂に敵機動部隊の艦載機群の航空攻撃を受けた。
この時点で栗田艦隊は沈没・損傷による後退を含む戦艦1、重巡4、駆逐艦4の戦力減少になりブルネイ出港時に比べ、
その戦力は半減し残存する艦艇の殆どが何らかの損傷を受けていて無傷な艦は僅かであった。第5波攻撃後の24日15時30分、
栗田艦隊は敵艦載機群の攻撃圏内から離脱を図る為に一旦、西進(反転)針路を取ったが、この頃から今までの敵機の攻撃が嘘の様に
ピタリと止まった(理由はエンガノ岬沖海戦を参照)為に栗田艦隊は再反転して再びレイテ湾へ向けて進撃を開始した。
翌25日の午前0時半頃に栗田艦隊は最大難所と考えていたサンベルナルジノ海峡を無事に通過するが、そこに居るはずの米機動部隊は
何故か存在していなかった。栗田艦隊はサマール島の東を南下し一路、レイテ湾を目指し進撃していた午前6時半頃に突如、
米機動部隊と遭遇する。この敵艦隊はスリガオ海峡夜戦で触れたレイテ湾外周を警戒していた3群の護衛空母部隊だった。
栗田艦隊はレイテ湾突入時に敵艦隊と遭遇すれば、これを攻撃する許可を得ていたのと、この空母部隊こそが探し求めていた
米機動部隊と判断した事も有って全艦に砲撃戦展開を下令した。
ここに低速・低装甲の空母群と連合艦隊の水上戦闘が繰り広げられたのであった。
米護衛空母群は栗田艦隊の追撃中止による反転で壊滅寸前の危機から逃れるが、この直後に神風特別攻撃隊の突入を受けて
更なる被害を生じる事になる。
[日本艦隊]
艦隊名:栗田艦隊 指揮官:栗田 健男 中将
戦艦 大和(艦隊旗艦) 長門 金剛 榛名
重巡 鳥海 羽黒 熊野 鈴谷 利根 筑摩
軽巡 能代 矢矧
駆逐 早霜 秋霜 岸波 沖波 藤波 浜波 島風 浦風 磯風 雪風 野分
※日本艦隊の被害艦表示は、サマール島沖海戦時のみに着目したもので前項のシブヤン海海戦時からの被害艦を加えると
殆どの艦が損傷を受けている事に注意して下さい。
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[米艦隊]
艦隊名:第77.4任務群(TG−77.4) 指揮官:トーマス・L・スプレイグ 少将
(TG77.4.1 第1任務群)タフィ1 指揮官:トーマス・L・スプレイグ 少将
護空母 サンガモン(CVE26・任務群旗艦) スワニー(CVE27) シェナンゴ(CVE28) サンティー(CVE29)
ペトロフ・ベイ(CVE80) サギノー・ベイ(CVE82)
駆逐 トラセン(DD530) ヘイゼル・ウッド(DD531) マッコード(DD534)
護駆逐 クールボーグ(DE217) リチャード・S・ブル(DE402) リチャード・M・ロウェル(DE403) エバーソール(DE404)
(TG77.4.2 第2任務群)タフィ2 指揮官:フェリックス・B・スタンプ 少将
護空母 マニラ・ベイ(CVE61) ナトマ・ベイ(CVE62・任務群旗艦) カダシャン・ベイ(CVE76)
マーカス・アイランド(CVE77) サヴォ・アイランド(CVE78) オマニー・ベイ(CVE79)
駆逐 フランクス(DD554) ハッガード(DD555) ヘイリー(DD556)
護駆逐 リチャード・W・スーザンス(DE342) アバークロンビー(DE343) オベレンダー(DE344) ウォルター・C・ワン(DE412) ル・レイ・ウィルソン(DE414)
(TG77.4.3 第3任務群)タフィ3 指揮官:クリフトン・A・スプレイグ 少将
護空母 セント・ロー(CVE63) ホワイト・プレーンズ(CVE66) カリニン・ベイ(CVE68)
ファンショウ・ベイ(CVE70・任務群旗艦) キトカン・ベイ(CVE71) ガムビア・ベイ(CVE73)
駆逐 ヒーアマン(DD532) ホーエル(DD533) ジョンストン(DD557)
護駆逐 ジョン・C・バトラー(DE339) レイモンド(DE341) デニス(DE405) サミュエル・B・ロバーツ(DE413)
※同海戦後の神風特別攻撃隊の突入により、サンガモン、スワニー、サンティー、キトカン・ベイが大中破、セント・ローが沈没した。
栗田艦隊と直接交戦したのはタフィ3だったが、他の空母群からも攻撃隊が発進しているので記載しています。