生起日:昭和19(1944)年10月25日

要  因
連合軍は次期攻略目標をフィリピンとして遂に昭和19(1944)年10月17日、フィリピンのスルアン島へ上陸する。即座に連合艦隊司令部は
「捷一号作戦」を発動して栗田艦隊へレイテ湾へ突入し敵上陸部隊と輸送船団撃滅の命令を下す。3群で編成された第1遊撃部隊は
ブルネイに集結し栗田中将は第1部隊と第2部隊を率いて10月22日午前8時にブルネイを出港し、レイテ湾へ向けて進撃する。
西村中将が指揮する第3部隊は栗田艦隊より一足遅れて同日午後3時30分にブルネイを出港した。
この西村艦隊には旧式の低速戦艦・扶桑と山城が配属されていた為に、栗田艦隊とは別航路(近道)のスリガオ海峡を通過するルートで、
レイテ湾へ突入する事になっていたが同海峡の出口周辺は米第7艦隊が防備していたのだった。その全貌は、まず海峡手前に
魚雷艇群と駆逐艦群の2段構え、海峡出口には戦艦と巡洋艦を中心とした主力艦隊、レイテ湾外周には3群の護衛空母艦隊が配備されていた。
しかも米第7艦隊の主力艦艇群に配属されていた戦艦は、かつて日本軍が真珠湾で撃破した戦艦群で火力、装備ともに大幅に近代化され
増強されていたのだった。僅か7隻の西村艦隊は昭和19(1944)年10月24日23時前にスリガオ海峡へ突入、翌25日の午前3時過ぎ頃から
敵艦隊の攻撃を受け始め、更に進撃する西村艦隊は午前4時前に敵主力艦隊に捕捉されレーダー射撃の集中攻撃を受ける。
西村艦隊は損傷した駆逐艦1隻を除いて全滅した。
余談では有るが一説によれば西村艦隊を別ルートで進撃(本隊より分隊)させたのは同艦隊に低速戦艦が配属されていた為に、
本隊(栗田艦隊)に同行させると航行速度が低下し主任務であるレイテ湾突入作戦が危ぶまれる可能性が有ったのと、
敵航空機及び敵艦隊からの攻撃を受け易くなり艦隊に甚大な被害が及ぶ事を栗田中将が懸念したと言う説も有る。
西村中将は作戦内容と進撃航路の説明を受けた時、何の異論も唱えず、ただ微笑んで承諾したとされている。


[日本艦隊]

艦隊名:第1遊撃部隊 支隊           指揮官:西村 祥治 中将

(第3部隊・別呼称:西村艦隊)
戦艦   山城(艦隊旗艦)   扶桑
航空巡  最上
駆逐   時雨   満潮   山雲   朝雲

          ※航空巡・最上は同海戦で損傷し戦場離脱中に敵艦載機の攻撃を受け大破し、駆逐艦・曙の魚雷で処分された。
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[米艦隊]

艦隊名:第77.2任務群(TG−77.2)   指揮官:ジェス・B・オルデンドルフ 少将

戦艦   ペンシルバニア(BB38)  ミシシッピー(BB41)  テネシー(BB43)  カリフォルニア(BB44)  メリーランド(BB46)  ウエスト・ヴァージニア(BB48)
重巡   ルイスヴィル(CA28・任務群旗艦)  ポートランド(CA33)  ミネアポリス(CA36)  シュロップシャー(豪巡)
軽巡   フェニックス(CL46)  ボイス(CL47)  コロンビア(CL56)  デンヴァー(CL58)
駆逐   バッチェ(DD470)  ビーレ(DD471)  ハッチンス(DD476)  ハルフォード(DD480)  リューツ(DD481)  コニー(DD508)  ダリー(DD519)
      ロビンソン(DD562)  オーリック(DD569)  クラックストン(DD571)  ニューコム(DD586)  キレン(DD593)  ウェルズ(DD628)
      シゴーニー(DD643)  アルバート・W・グラント(DD649)  ベニオン(DD662)  ヘイウッド・L・エドワーズ(DD663)  リチャード・P・リアリー(DD664)
      ブライアント(DD665)  マクダーマット(DD677)  マクゴワン(DD678)  マクネイアー(DD679)  メルヴィン(DD680)  ルメイ(DD688)
      マーツ(DD691)  モンセン(DD798)  アルンタ(豪駆逐)

                         ※アルバート・W・グラントの損傷は味方(米艦艇)からの着弾によるもの。


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