生起日:昭和18(1943)年11月25日
要 因
連合軍がラバウル攻略の前哨戦として昭和18年10月27日にブーゲンビル島南方のモノ島、南東のチョイセル島へ上陸して
両島を占領する。これに呼応して周辺に存在する日本軍の航空基地へ攻撃を掛け、遂にはブーゲンビル島西岸のタロキナに上陸する。
昭和18年に入ってからは米艦隊に新たに装備された水上レーダーによるレーダー射撃で僅か11ヶ月の間に日本駆逐艦の損失は
既に20隻弱まで上っていた。これはガダルカナル島争奪戦以降、日本軍が実施してきた駆逐艦による海上輸送が
裏目に出たのと、日米間で電探兵装に大きな差が出ている事を示していた。
しかし、この事を重く考えない日本軍は同様な輸送作戦を継続し、消耗戦に突入して行くのであった。
連合軍がブーゲンビル島タロキナへ上陸すると日本軍は同島の北部に有るブカ島の防備を強化する為に駆逐艦による海上輸送を実施した。
1度目は成功した輸送作戦だったが、2度目の時には日本軍の暗号を解読していた連合軍が輸送作戦を阻止する為に、
水上レーダーを装備した米駆逐艦5隻を迎撃に向かわせていたのだった。
[日本艦隊]
艦隊名:ブカ島輸送部隊 指揮官:香川 清澄 大佐
(警戒隊)
駆逐 大波 巻波
(輸送隊)
駆逐 卯月 天霧 夕霧
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[米艦隊]
艦隊名:迎撃部隊 指揮官:アーレイ・バーク 大佐
駆逐 コンヴァース(DD509) スペンス(DD512) チャールズ・オズバーン(DD570) クラックストン(DD571) ダイソン(DD572)