生起日:昭和18(1943)年03月05〜06日

要  因
ガダルカナル島からの日本軍撤退により戦場が同島近海から中部ソロモンへと移り変わって行き、豪と米の連絡遮断の為にも
東部ニューギニアは貴重な拠点と基本合意していたものの、防衛線に関しては海軍と陸軍の意見が合わず
中部ソロモン(ニュージョージア島、コロンバンガラ島、イサベル島)を海軍が、北部ソロモン(ショートランド、ブーゲンビル、ブカ)は
陸軍の防衛担当となる。
戦況が、この状況下でも海軍と陸軍は共同歩調が全く取れていなかった点が以後いたずらに海上・陸上兵力の消耗を招き、
それに伴いジリジリと米軍がソロモン諸島の島々を南より進撃する事を容易にしてしまう原因にもなっていたのだった。
当初、中部ソロモンを担当した海軍は従来通りの船団による「暗夜航行と揚陸、日の出前の戦場離脱」を実施していたが
敵機より夜間攻撃を受けた事で、駆逐艦による高速輸送に切り替えた。だが無事に揚陸を終えた駆逐隊が帰路に着いた時、
軽巡3隻を基幹とした米艦隊と遭遇し海戦が生起。日本駆逐艦は米艦隊のレーダー射撃の集中砲火を受け沈没、戦闘後に
米艦隊はコロンバンガラ島の日本軍飛行場を砲撃して戦闘海域を離脱した。


[日本艦隊]

艦隊名:コロンバンガラ輸送隊         指揮官:橘 正雄 大佐

駆逐  村雨   峯雲

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[米艦隊]

艦隊名:第68任務部隊              指揮官:スタントン・メリル 少将

軽巡  クリーブランド(CL55)  モントピーリア(CL57)  デンヴァー(CL58)
駆逐  ウォラー(DD466)  コンウェイ(DD507)  コニー(DD508)


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