生起日:昭和17(1942)年08月08〜09日
要 因
1942(昭和17)年05月07日に発動されたMO作戦と呼応して実施されたガダルカナル島と対岸のツラギへの上陸を展開した日本軍は、
上陸を完了すると航空隊の基地となる飛行場の設営を行っていた。ところが、ガダルカナル島の飛行場が完成した頃になると
米軍はフランク・フレッチャー中将が指揮する戦艦1、空母3を基幹とする機動部隊に護衛された第1海兵師団(陸上兵力2万人)を
ガダルカナル島へ、一部を対岸のツラギへ上陸させた。
ツラギからは未明より敵上陸の緊急電文が発せられ、これに逸早く対応したのがラバウルに在泊中の三川 軍一 中将が指揮する第8艦隊だった。
1942(昭和17)年08月07日午前5時35分、即座に三川中将は麾下の部隊に出撃命令を下した。
第8艦隊の狙いはラバウルから約1000km彼方のガダルカナル島へ敵航空機が行動出来ない夜間に接近し同島近海に展開する米上陸部隊を撃破、
夜明け前には敵航空機の行動範囲内から即時、離脱を図ると言う作戦で、この前代未聞の作戦を考え出したのは
戦時下の日本では奇想天外な発想で有名な当時、第8艦隊の首席参謀を務める神 重徳 大佐だった。
しかし米海軍は珊瑚海海戦で空母・レキシントン、ミッドウェー海戦で空母・ヨークタウンを失い空母兵力に余裕が無く、
これ以上の空母損失を恐れたフランク・フレッチャー中将は船団護衛の任務を放棄し機動部隊を南下させ安全圏へと離脱した為に
ガダルカナル島近海には上陸船団と、その護衛艦隊のみになっていた。
そこへ重巡5隻を基幹とする第8艦隊が突入し、米護衛艦隊との間に水上戦闘が発生した。
戦闘上では敵の戦没艦、損傷艦が多いが、肝心な輸送船団の方は全くの無傷のまま残し第8艦隊は離脱して行った。
しかし、この丸残しした敵輸送船団が原因で後にガダルカナル島の争奪戦が日米両軍の間で激化し、更に日本が窮地に追い詰められて行く事になる。
[日本艦隊]
艦隊名:第8艦隊 指揮官:三川 軍一 中将
重巡 鳥海 青葉 古鷹 衣笠 加古
軽巡 天龍 夕張
駆逐 夕凪
※重巡・加古は帰路で米潜水艦の雷撃を受け沈没した。
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[米豪艦隊]
艦隊名:南方部隊 指揮官:クラッチレー 少将
米重巡 シカゴ(CA29)
豪重巡 オーストラリア キャンベラ
米駆逐 バグリー(DD386) パターソン(DD392)
艦隊名:北方部隊 指揮官:リーフコール 大佐
米重巡 アストリア(CA34) クインシー(CA39) ヴィンセンス(CA44)
米駆逐 ヘルム(DD388) ウィルソン(DD408)
艦隊名:レーダー哨戒隊
米駆逐 ブルー(DD387) ラルフ・タルボット(DD390)